Diary 2007. 6
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6月26日 (火)  「滝の詩」

今日の協議会で、皆に聞いてもらった♪
地区婦は新しくCDプレイヤーを買ってきたよ〜ってめっちゃ自慢(^_^;)

終了後、男子部が本部で唱題会
男子部にも聞いてもらったら、喜んでた♪
だから、CDあげちゃった(*^_^*)

またCD焼こうっと♪


6月21日 (木)  中部歌

今回の本幹も良かったな〜♪

始まる前には、「滝の詩」が流れてるし
始まったら、「この道の歌」それも中部愛知の、仲良合唱団が歌ってさ〜♪

会場は大盛り上がりでした(^_^)v

先生の真心受け取りました!
中部が万歳を勝ち飾ります!


6月20日 (水)  投票日延期

諸天も見方した!?

今回も厳しい中、投票日までの日にちが一週間延びた。
これは、諸天が動いたのかも!
一週間よけいに戦える!!
動ける!

公○も全力で戦え! 絶対無駄にするな!
皆の期待に答える事だけ考えて日々戦え!


6月3日 (日)  「新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!」

2007.06.03SP 長編詩「新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!」


=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
 堅塁(けんるい)の同志を讃う  ── 愛知・三重・岐阜 ──

     新しき大中部の太陽よ 勝ち昇れ!

                    池田 大作
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-


 堂々と
  堅塁中部は
     確かなり
  完壁完勝
     師弟城かな

古き時代を変えゆく
天地がある。
それが
私の信ずる大中部だ!

新しき歴史を創りゆく
勇者がいる。
それこそ
私の誉れの中部の友だ!

日蓮大聖人は
「撰時抄」に仰せになられた。
「我が弟子等
 心みに法華経のごとく
 身命も おしまず修行して
 此の度 仏法を心みよ」

わが使命の人生において
「此の度」とは
いったい何時か。
待っていれば来るのか。
いな!
自分で定めるしかない。
弟子が決めるしかない。
それができなければ
永遠に「時」は来ない。
わが生命の全権は
汝自身の一念にあるからだ。

法華経では
おごそかに宣言されている。
「今 正しく是れ其の時なり
 決定(けつじょう)して大乗を説く」

 栄光の
  中部の城は
      人間城
  今日も朗らか
    今日も楽しく

あれは
昭和二十八年の師走 ──
二十五歳の私は
中部の大地に勇み立った。
岐阜駅からボンネットバスで
美濃へと向かった。
そこには 戦時中
「神本仏迹(しんぽんぶっしゃく)」の邪義を唱え
牧口常三郎先生と
戸田城聖先生の
殉難の発端をなした
傲慢きわまる
老獪(ろうかい)な悪侶らがいた。

この前年の四月
我ら正義に生き抜く
青年たちは
坊主という特権を
狂気の如く振りかざした邪僧に
徹底的に破折を成し遂げた。
いわゆる有名な
「狸祭り事件」である。
坊主を「狸」と見抜いたのは
庶民の鋭き眼(まなこ)である。

この化け物の如き狸坊主は
その後 詐欺にかかり
隠し貯えた財も失った。
もの笑いになりながら
哀れな仏罰の姿を
曝(さら)け出していった。
皆が改めて
仏法の厳しさを知った。
仏法は正しい。
ゆえに仏法は
あまりにも峻厳である。

殉教の牧口先生の偉大さを
訴え抜きながら
私は この坊主を叱咤した。
金儲けなど考えるな!
正法正義(しょうぼうしょうぎ)の師弟に
懺悔し謝罪せよ!

この悪坊主は悔恨の涙を流した。
崩れ落ちるように膝を折り
居住まいを正した。
「神本仏迩論は間違いでした。
 誠に申し訳ありません」
「宗門は何十年やっても
 折伏ができなかった。
 創価学会はすごい。
 偉大な力があります」

初代と二代を苦しめ抜いた
邪宗門の魔僧(まそう)の悪行に
三代の私が
ここ中部で
最後の止めを刺したのである。

「破邪顕正」の遠征が
中部での初陣となった。
まず「破邪」である。
邪悪を打ち破ってこそ
「顕正」がなされる。
師匠の正義を宣揚できるのだ。

その夜 私は
名古屋市中(なか)区で
一粒種の東松(とうまつ)さんのお宅の
座談会に馳せ参じた。
若き渾身の力で
新来の友に仏法を語った。

「力あらば
 一文一句なりとも
 かたらせ給うべし」
一対一の真剣勝負の対話から
すべては始まる。

この前夜には
東区での座談会に出席した。
愛知県下はもとより
三重県からも
岐阜県からも
健気な友が駆けつけてくれた。
中部の三県は
常に深く一体であった。

 仏勅(ぶっちょく)の
  英雄集いし
     中部かな
  功徳に包まれ
    師子吼も愉快に

中部は不思議なる天地である。
桶狭間 さらに小牧・長久手
そして関ケ原……。
乱世の主戦場は
ことごとく中部であった。
信長の迅速よ!
秀吉の攻防よ!
家康の決戦よ!
天下取りは
この地の一戦で決まった。

いかなる「地の利」か。
経済戦においても
思想戦においても
中部が急所だ!
広宣流布の命運を決する
最重要の決戦場もまた
大中部であるに違いない!
戸田先生と私の
深く一致した確信であった。

「愚かな邪悪の人間たちが寄り合うと
 必ず悲惨な敗北に陥る。
 使命と信念と正義の
 同志が結束すれば
 必ず勝利だ。
 永遠に勝利になる」

昭和二十九年の二月
特急つばめの車中から
戸田先生と私と二人して
中部の天地を見つめながら語り合った
忘れ得ぬ言葉である。

 幾たびか
   嵐と怒涛を
    乗り越えて
   勝利の中部と
     われは讃えむ

世界的な哲人指導者
チェコのマサリクは論じた。
「宗教は
 個人と社会を
 道徳的に導く」

「信教の自由」こそ
人権の大眼目である。
人間の尊厳の柱である。
そして
民主主義を進めゆく
希望の大船(たいせん)である。

我ら創価の堂々たる
地域の繁栄のための前進に!
広宣流布という
全世界の平和のための行進に!
恐れをなして
卑劣な宗教弾圧があった。

なかんずく中部には
嫉妬と悪意に満ちた
悩乱する政治家たちの
謀略が渦巻いた。
それは
浅ましく傲り高ぶった
権力者の狂態であった。
時代錯誤も甚だしい
権力の魔性に狂った
人権の蹂躙(じゅうりん)であった。

大哲学者カントが
喝破した通り
「高慢」は阿呆(あほう)である。
「嫉妬」は悪魔である。

幾重にも悔しさが重なり
まじめな中部の友は
本当に可哀想であった。
中部の同志は
どこよりも我慢強かった。

そして
僭聖増上慢らの正体を見破り
あざ笑いながら
勝負を決する大闘争を
雄々しく挑んだ。
強盛に歯を食いしばり
「今に見ろ!
 今に見ていろ!」と ── 。

勇敢なる皆様方の
一心不乱の祈りによって
師子奮迅の戦いによって
異体同心の前進によって
正義の中部は
美事に完勝した。

英国の劇作家
シェークスピアは
「傲るものは倒れる」と
痛烈に断定している。

錯乱した如く
権力の虜(とりこ)になって
正義の民衆を迫害した
悪逆な代議士らは
皆 叩き落とされ
もがき苦しみながら
滅び去っていった。

その政党も
もはや消滅した。
あまりにも佗(わび)しい
無惨な末路は
さまざまに報じられ
世の人びとも
眉を顰(ひそ)めるところだ。
敗北である。
崩壊である。
崩壊は地獄である。
その汚名は
未来永劫に厳しく
弾劾されていくに違いない。

正しき我らの勝利は
仏天が喜び舞って賞讃した。
この大歓喜の事実を
皆様方は心ゆくまで
知悉(ちしつ)しておられることだろう。

蓮祖大聖人は叫ばれた。
「悪王の正法を破るに
 邪法の僧等が方人(かたうど)をなして
智者を失はん時は
師子王の如くなる心をもてる者
必ず仏になるべし」

わが中部は
「師子王の心」で
邪悪と戦い
堂々と勝った。
権力と戦い
悠然と勝ち抜いた。
権力者を倒した。
徹底的に倒したのだ。

大聖人は明言なされた。
「仏法と申すは道理なり
 道理と申すは
 主に勝つ物なり」

ゆえに私は
あらゆる民衆運動の指揮
そして
あらゆる広宣流布のための
折伏戦に勝ちに勝った。
後悔なき満足の歴史を残した。

ただ一度だけ負けた。
昭和三十二年四月
大阪での参議院の
補欠選挙であった。

あの「まさかが実現」の
大阪地方区の大勝利の
明くる年のことである。
他党の議員が死去したために
急遽(きゅうきょ) 選挙を行うことになった。
皆 やりたくなかった。
関西の同志も疲れ切っていた。
私も疲れ果てていた。

それに対して
東京のある幹部たちは
自分たちは負けたくせに
戸田先生にお世辞を使い
「大阪は絶対に勝てます。
 池田君に
 また指揮を執ってもらえば
 必ず勝てるでしょう」と
進言したようだ。
支援することに
話は決まった。


しかし
「絶対に勝てる」と言った
東京からの応援はなかった。
大阪に来た
幾人かの東京の議員たちは
遊んでいたようだ。
かえって
ちぐはぐにしてしまった。
歩調が
合わなくなってしまった。
ご存じの通りの
悲惨な敗北に終わった。

以前 中部の婦人部の方からも
切実な声が届いたことがある。
── 激励指導に来たはずの幹部が
皆の中に入らず
飲み食いをしたり
接待をさせたりしている。
「こんな幹部には絶対に
来てもらいたくない」と
怒り心頭の叱責であった。

学会の力
同志の力のおかげで
代議士になり
名士になりながら
恩を忘れ 仇で返し
愚行を繰り返す人間に対して
戸田先生は厳しかった。

「この恩知らずめ!
 畜生にも劣る
 不知恩の輩は
 正義の学会に置けない。
 出て行け!」
それはそれは厳しかった。
正しかった。

人間は恩を忘れてはならない。
畜生とは違うのだ。
ここに仏法の始まりがある。
青年の教育の始まりがある。
人生行路の出発があるからだ。

それは
昭和四十四年の十二月 ── 。
総選挙の支援で
中部は大敗した。
全員落選であった。

この時の
中部の敗因は何か。
第一に ──
団結がなかった。
皆が勝利のために
真剣にならなかった。
そして
「仏法は勝負なり」との
強くして深き信念を
忘れ去っていた。

第二に ──
幹部の呼吸が
一致していなかった。
足並みが乱れていた。
絶対に民衆のために
勝たねばならぬという
深き祈りと行動がなかった。

第三に ──
御聖訓を拝することを
忘れていた。
師の指導を
観念的に聞いていた。
「真剣勝負」という
責任ある心意気がなかった。

第四に ──
たゆまなく走らなかった。
人びとと
語り抜いていかなかった。
横着であった。
絶対勝利するとの
祈りに祈り抜く
唱題の深さがなかった。

第五に ──
幹部が死に物狂いの
指揮を執らなかった。
会員を大切に愛し切っていく
慈悲がなかった。
皆に確信を与えなかった。
勝利の喜びを教えなかった。
つまり幹部が増上慢であった。
無責任であった。
皆が その幹部たちに
心からついていなかった。

そして第六に ──
敵と勇敢に戦わなかった。
戦闘の心意気を
臆病にも忘れていた。
指導らしき姿を見せながらの
狡賢い指揮であった。

かつて戸田先生も
深く嘆息されたことがある。
「信頼と人望のない幹部が
 指揮を執ると
 恐ろしいものだ」

師匠の言葉を
声高らかに叫びゆけぬ者は
我らの同志でもなければ
仲間でもない。
健気な同志の中を泳ぎ
遊びまわっている
狡猜な畜生だ。

中部の友は皆
悔し涙を流した。
一部の幹部たちの
無慈悲な威張る姿に
非難は囂々(ごうごう)と響いていた。

私は中部を
一変させねばならぬと
決意した。
中部の友は可哀想だ
あまりにも可哀想だと
中部の友を護り抜くことを
心深く誓願した。

この私の心に応えて
中部は
再び立ち上がった!
断固として戦いを開始した。
友の心は輝いていった。
皆の生命(せいめい)から
広布の息吹が漲(みなぎ)っていった。

日興上人は師子吼なされた。
「日蓮大聖人の正義に背く輩を
 捨てなければ
 それはかえって
 こちらの科になるというのが
 この法門である」

浅はかな自分の態度に
流されたり
愚かな勘違いの指導に
惑わされてはならない。
さらに
愚劣な幹部に騙されて
まるで師匠であるかのように
追従していく
恐ろしい愚者であっては
絶対にならない。

「この大聖人の法門は
 師弟の道を正して
 成仏していくのである。
 師弟の道を少しでも誤れば
 同じく法華経を持っていても
 無間(むけん)地獄に堕ちてしまうのだ」
これも
日興上人の厳命であられた。

中部は
勇敢なる
本物の若き指導者が
陸続と出始めた。

そして中部の
若き英雄たちは叫んだ。
「私たちは
 真実の池田門下生だ。
 池田先生の弟子だ。
 断じて新しい中部を
 建設してみせる!」
「誰が何と言おうが
 我らは
 最も正しい法則に
 生きていくのだ。
 それが
 師弟不二であるからだ!」

新しき中部の太陽が
煌々(こうこう)と昇ったのだ。
中部は蘇生したのだ。
指導者も変わった。
そして勝利が始まった!

ある著名な大学者が
嘆いていた。
「日本人は心が狭い。
 あまりにも小さい。
 陰険なる僻(ひが)み根性を持ち
 抜きん出た功績に対しては
 それを貶(けな)し破壊しようとする。
 その罪は実に重大である」

まったく その通りだ。
その心に嫉妬の炎が燃えて
嘘っぱちの噂を作る輩がいる。
みな元凶は妬みである。

大聖人は打ち破られた。
「証拠がないのだから
 舌に任せた言葉に過ぎない。
 それは
 ひとえに謗法となる」
天台大師は断じられた。
「文証のないものは
 悉(ことごと)く邪(よこしま)であり偽りである」
文証と証拠を
最大に重視するのが
仏法である。

ゆえに中部の賢明な同志は
いかなる誹謗中傷にも
敢然と切り返していった。
「正確なる文証を出せ!」
「明快なる証拠を示せ! 」
そして
「低次元の週刊誌の中傷などことごとく嘘八百だ」と
美事(みごと)に破折し勝っていった。

創価の師弟は
裁判も すべて勝利である。
第三代への
全く事実無根の悪口罵詈は
厳正なる法廷において
最高額の罰金で断罪された。

凶悪なる狂言訴訟は
百万件に一件という
「訴権の濫用」として
容赦なく呵責され
最高裁から
門前払いされたことも
周知の事実だ。

悪辣(あくらつ)にして陰険な勢力の
あらゆる圧迫を勝ち越えた
我らの金字塔こそ
「人権」の希望の勝利なりと
大中部の知性をはじめ
心ある識者の方々からも
感謝と讃嘆の声が寄せられる
時代に入っている。

私が対談集を発刊した
ロシアの宇宙飛行士
セレブロフ博士夫妻も
中部の婦人部・女子部への
感銘を語っておられた。

「中部の女性の連帯にこそ
 他の人びとや次の世代のため
 聡明に貢献しゆく
 献身的な息吹が濃っている。
 より良き二十一世紀を創る
 希望の光がここにある」

 勝ち戦
  それが我らの
      使命かな
  我は見つめむ
   幸福王(あなた)の勝利を

忘恩の坊主どもの謀略も
陰険に荒れ狂った。
だが中部の友は
「堅塁」の名の如く
障魔を厳然と跳ね返した。
微動だにしなかった。

あの昭和五十三年の春四月
三重県の婦人部の皆様方が
愛唱歌「今日も元気で」を
声も高らかに合唱してくれた。
♪うれしい時も かなしい時も
  かわす言葉は
  先生 先生 われらの先生 ──
熱き魂の母たちの歌声を
どうして忘れられようか!

私は! そして私と妻は!
いついかなる時も
心は常に
中部の同志と共にあった。
妻の故郷は中部である。
ああ いずこにも
仏に等しい尊極の友が
光り輝く大中部よ!

昭和四十二年の
暑い暑い八月十五日
誕生したばかりの高山会館で
岐阜の皆様と
永遠の平和を祈念した。
さらに要衝・犬山市へも
第一歩を印した歴史の一日。

昭和四十四年の二月十一日
恩師の生誕の日には
名大会(めいたいかい)はじめ四大学会の
若き俊英たちと語り合った。
そして一宮を訪れて
尾張の同志と
中部の未来を展望した。

昭和四十八年の年頭
豊田市体育館で
一緒に写真に納まった
眩(まばゆ)き三河の同志たちよ!

昭和五十一年の厳寒の一月
私は名古屋市南区へ向かった。
そこには
最も困難な環境で
戦い抜いてこられた
尊い尊い太陽の中部婦人部が
朗らかな草の根の集いを
開いておられたからだ。

昭和五十二年の春
麗しき春日井の皆様方と
大地を潤す「愛知用水」の
記念の碑の前で語り合った
家族会議も懐かしい。

「豊かな橋」を結びゆく
豊橋の天地で
「勝つことを千里の外に決する」
協議を真剣に行ったのは
昭和五十八年の早春であった。

昭和六十一年の六月には
憧れの名鉄電車に乗って
正義の友が待つ知多へ走った。
邪宗門との戦いに勝った
半田(はんだ)をはじめ
創価の勝者たちの顔は
神々(こうごう)しいまでに光っていた。

 三世まで
  家族か同志か
     仲の良き
  中部の友に
      幸ぞ多かれ

アメリカの著名な宗教学者
ニコラス・ガイヤ博士は
わが愛知婦人部の
「仲良(なかよし)合唱団」のコーラスに
心から感動しておられた。

「歓喜の表現を通して
 この女性たちが
 『魂の中に幸福を
 創造している運動』に
 献身していることが
 深く理解できました」

あの忘れ得ぬ
岡崎の芸術祭で結成された
女子部の爽やかな
「ゴンドラ合唱団」らとともに
わが中部の歌声は
常に 幸福勝利の響きと
輝いていた。

 峻烈な
  時代を乗り越え
     悠然と
  歓呼の歌声
     愛知に響けや

ある日ある時
私は大野君と
二人して語り合った。
「広布の名古屋城を
 そして創価の中部城を
 君の時代に
 必ず完成してくれ給え! 」

わが弟子
誠実な大野君は
にっこりと笑顔になり
「必ず私の時代に
 師弟の中部城を
 常勝の名古屋城を
 断じて創ります! 」と
即座に言い放った。

今や 名古屋城と
向き合って
日本一 壮麗な
中部池田記念会館が
王者の如く
そびえ立った。

大中部と連合して
新たな歴史を築きゆく
大関西の指導者は語った。
「中部は組織が堅実だ。
 一つ一つ着実に
 勝利を積み重ねてきた。
 守りが固く足腰が強いから
 いかなる波浪にも負けない」

大東京のリーダーも
感謝の心を光らせて叫んだ。
「中部は粘り強い。
 一度結んだ人間の絆を
 どこまでも大事にするゆえに
 安定して崩れない。
 東京を支えてくれた恩義に
 今こそ恩返しをするのだ」

全国 そして世界中の
わが一体不二の同志も
私と同じ心で
中部を見つめ
中部の友の完全勝利を
祈りに祈っている。

さあ!
新世紀の先陣を切って
大中部の第二幕が始まった。
闘魂たぎる男子部も
白蓮の如き女子部も
知勇兼備の学生部も
きら星の陣列が躍動している。

 全世界
  これが都と
   舞いまいし
  中部の青春
    晴れ晴(ば)れ集いぬ

今や中部が
全日本の先頭を走っている。
経済も力強い。
世界に誇る技術がある。
独創性があり
先見性がある。

広宣流布の天座(てんざ)にも
中部の大金星が
群を抜いて
冴えわたっている。

古代ギリシャの先哲
アリストテレスは断言した。
「借りは返すのが正しい」
「正しいことは美しい」と。
邪悪な怨敵は
完壁に打ち倒し
正邪の決着をつけるのだ。

大聖人は仰せになられた。
「事を権威によせて
 日蓮をおどすよりも
 正しい経文を出しなさい。
 汝らは人を味方としている。
 日蓮は日月・帝釈・梵王を
 味方としよう」

ああ!大中部の同志の瞳は
いつも私の胸中に
一番星の如く
燦然(さんぜん)と煌(きら)めいている。

愛知! 三重! 岐阜!
そして常に
美しき団結で結ばれた
石川県! 富山県!
五県の異体同心のスクラムこそ
万世(ばんせい)に語り継がれる
美しき模範であると言いたい。

列島を貫いて
日本の真ん中に
堂々と広がりゆく大中部よ!
幾たびも私と共に
死闘 激闘を勝ち越えた
その人間王者の風格は
なんと頼もしいことか!

中部は
常に大勝利するのだ!
中部は
必ず勝鬨(かちどき)を挙げるのだ!
中部は
断固として勝つのだ!

新たな
創価の完勝の「この道」は
名誉ある大中部から
断じて開いてくれ給え!

 誰れびとも
  待ちに待ちたる
     新時代
   美事に中部が
     その道 開けと


                   二〇〇七年六月一日

                      創価学会本部・師弟会館にて

                         桂冠詩人




**************************************************************
※マサリクの言葉は石川達夫訳。
  シェークスピアの言葉は小田島雄志訳。
 アリストテレスの言葉は戸塚七郎訳。
**************************************************************


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