袖触れ合うも何かの縁・・・(^;;

寝台特急はやぶさ B開放室で13時間2分。名古屋〜熊本間乗車記。


東京〜九州間の寝台特急として、最後の牙城を守り抜いているはやぶさ・富士。

由緒あるブルートレインも、来年3月改正で、いよいよ廃止される様です。

息子とふたりで、お別れ乗車をしてきました。



おことわり・・・ビデオキャプチャ画像も多く含まれているので、御見苦しい点をご承知おき下さい。





宵の口の名古屋駅4番ホーム。案内板に、はやぶさ・富士の到着を知らせる表示。




           

急行銀河に乗車以来、久々の夜行列車とあって、落ち着かない様子の息子。





定刻より約3分遅れで、東京方から姿を現した。名古屋駅に発着する特急型車両は

373系、383系、683系、キハ85系など、新鋭揃いだが、EF66の誇らしげな姿に牽引

された寝台特急は、貫禄、威厳ともに群を抜いている。




     

機関車に続き、14系の青い車体がホームに横たわり、停車寸前の様子。旅立ちへの

ときめきが、いやがうえにも盛り上がるひととき。






さて、今宵の宿はB開放室車のスハネフ14 12号。これには大感動だった。

なぜならこの12号は、今から遡ること26年前に、今は亡き特急『紀伊』の四日市〜東京間を乗車

した折、この12号だったのだ。その当時は名門・品川客車区に所属。南シナの表記も誇らしげに

ピカピカのボディだった。時代は流れ、『あの時乗ったナンバーの車は今、元気なんだろうか?』


と、鉄道ファンであれば誰しもが想う事だろう。

品川客車区は既になくなり、遠く離れた熊本運転所・・・現・熊本車両センターに移り住み

熊クマと名前を変え、少々やつれ気味なったとはいえ、元気な姿を再び現してくれた。

『キハネフ』との異名も持つ電源用のディーゼルエンジンのうなりが

『やあ。また会ったな。俺も随分ヤツレちまったが、まだまだイケるぜ!』

そう語りかけてくるようだった。

『しばらくだったな・・・。』


と、思わず声をかけてやりたくなった。



3900kwの唸りを上げ、夜の東海道を西へ突き進むEF66 42号機

元は長大高速貨物牽引の任に就くべく開発された国鉄型直流機としては

最も強力なパワーを持つこの機関車。力強い走りで、12両の客車をエスコートする。




この日の下りはやぶさ・富士の編成表


EF66 42(関)
@
スハネフ14
12
A
オロネ15
3006
B
オハネ15
2004
C
オハネ15
1122
D
オハネ15
1202
E
スハネフ15
1
F
スハネフ15
21

G
オロネ15
3005
H
オハネ15
2001
I
オハネ15
4
J
オハネ15
3
K
スハネフ14
5
←熊本・大分                                                                       東京→
注・・・@〜E号車は『はやぶさ』、F〜K号車は『富士』

列車が名古屋を出てしばらく後、隣のボックスから『こんばんわ〜!』と、元気の良い挨拶。

見れば2ボックス貸切の団体さん。幹事?とおぼしき男性に聞けば、横浜から乗車とのこと。

兄弟夫婦4組8名で、明日は新八代から新幹線で鹿児島を目指すという。

当然ながら既に酒が入り、程よく出来上がっている(^^)

こちらも落ち着いたところで、持参のパック酒で早速一杯やる事に。

するとその男性から有難い事におつまみの差し入れが。色々世間話やら

身の上話等に花が咲き、8+2人のちょっとした宴会状態になった。




   

     

宴会中?の車内の様子。団体さんに許可を頂き、撮らせていただいた。

右下の画像は、パック酒を持ってほろ酔いのテツ(^;;






幹事?である御夫婦の2ショット。




      

画像左・・・大垣の手前で、上り『ムーンライトながら』と離合。

画像右・・・大垣通過。停車中の311系は上り終電となる名古屋行き1154F。





実は今回のはやぶさ乗車は、まだ一度も経験のないBソロを当て込んでいたのだが

ひと列車に18室しかないのと、寝台料金が開放室と同額であることも一因だろう。

切符を手配する段階で、既に満室となっていた。仕方なく銀河に乗った時と

同じB開放室と相成った。しかし今思い起こせば、素晴らしい隣客に巡り合えて

楽しいひとときを過ごす事が出来、昔ながらの『夜汽車』の醍醐味を堪能できた事を

考えれば、そういう意味では、個室以上の価値があったと思う。

タイトルにもあるが、『袖触れ合うも何かの縁』 歓談の中で、幹事とおぼしき

男性が何度も口にしていたのが、印象に残った。

宴も一息ついた頃、列車は別線に入り、右へカーブしていく。東荒尾信号所を通過

関ヶ原越えの勾配緩和線に入ったのだ。単線になり、やや速度を落としながら

ゆるやかに高度を上げていく。遠ざかる大垣の街の明かりが、トンネルの合間に

見え隠れする。



   

画像左・・・次々とすれ違う列車。 
画像右・・・関ヶ原を通過。



関ヶ原を越え、右に左に揺れながら、闇の中、伊吹山の麓を行く。車輪のフランジがレールにこすれる音

が、ジョイント音に伴奏を添える。そして時折聞こえてくるEF66のホイッスル。時に力強く、時に物悲しく・・・。

程よく酒が回った拙者にとって、最高のBGMだ。

681/3系、221/3系等が体を休める米原機関区跡の電留線を横目に、米原に運転停車。ここからJR西日本

の運転士と交替する。相変わらず数分の遅れだ。しかしこちらは、そんな事は一向に気にならない。





京都総合運転所の横をかすめる。



大阪発車。岡山の運転停車を除けば、次は広島まで、4時間13分のロングランだ。



宴もお開きとなり、息子も既に深い眠りに就いていた。寝息が車内を支配する中

拙者は寝付かれず、独り煙草をふかし、通路の折り畳み椅子に座って外を眺めながら

色々と思いを巡らせていた。

『あさかぜ』、『さくら』、『みずほ』、『出雲』、『明星』、『彗星』・・・あんなに沢山あった

東海道・山陽ブルトレも、気がつけば今自分達が乗っている『はやぶさ・富士』だけになっていた。

それも来年3月改正で廃止になるという。つまり全滅である。

時代とともに鉄道も進化し、名古屋発で言えば、わざわざ宵越しの寝台列車を使わず

とも、『はやぶさ・富士』の8時間ほど後の朝6:50発の、のぞみ59号に乗れば、同時刻の

10:10には博多に到着する。誰が考えても、そして時代の流れからしても、もはや

ブルトレに勝ち目は無いだろう。しかし、旅はスピードだけではない。色んな目的

そしてニーズを持った旅客が居るはず。それをスピードだけで全て片付けてしまって

果たしてそれが正解なのだろうか。

断わらせていただくが、拙者は新幹線を否定しているのではない。

実際、復路は熊本から、リレーつばめ+のぞみを利用したが、確かに往路の半分以下の

所要時間だ。『時は金なり。』と言うように、今やビジネスには無くてはならない存在かも知れない。

だがそこには、往路のブルトレとは全く異質の空気が流れていた。

乗り合わせた隣客との会話などない。車窓の景色は時速300km/hで吹っ飛び、人々は皆

伏せ目がちで、ピリピリした表情さえ感じる。3列シートの真ん中に当たれば、その閉塞感

はひとしおだ。スピードと引き換えに、『旅』という名の、何か大切なものを忘れているような

気さえする。

一鉄道ファンの独りよがりと言われれば、それまでかも知れないが、人とふれあい

情緒ある夜汽車の旅は、もはや時代遅れのメルヘンに過ぎないのだろうか・・・。

三ノ宮を過ぎ、終電の時刻を過ぎた駅は、照明を落としている所が目立ってきた。

保線工事の合間を縫って走っているのだろう、時折、叫ぶようなホイッスルの音が

すぐ前のEF66から聞こえてくる。単調な轍の音と共に、誇り高きヘッドマークを

無人の闇に煌かせながら・・・。

少し冷えてきたので寝台に移り、この列車の行く末を案じていたら、いつしか

眠りに就いていた。



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