キリスト信者の霊性(20) ―聖霊のたまもの―

 たまものという言葉の意味は、それをおくるのは全く自由であるという意味です。すなわち、人間はそのたまものを頂く権利もなければ、神さまは、それを与える義務もありません。
 神さまからいただく最も高貴なたまものは、神さまの愛である聖霊そのものです。
 聖霊はさらにご自分のたまものを与えてくださいます。
 聖霊のたまものはいくつですか、と聞かれると、多分数多いものでありましょうが、イザヤ預言者が述べられるように、七つにまとめることができます(イザヤ11・1〜3参照)。
 具体的に言えば、そのたまものは次のものであります。
 上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛と敬畏です。
 ヘブライ語の古い聖書、ギリシャ語の七十人訳聖書、並びに聖イエロニモによるブルガタの聖書には、上述した七つのたまものが記されていますが、旧約原典学者たちによる聖書には六つしかありません。 しかしながら、聖書学者によれば、七つのたまものの方が正しいと思われます。

  1. 上智のたまものは、神さまと神的なものについて、最高の理由に基づいて正しく判断し、それを超自然的に味わう恵みを与えます(『上智』とはラテン語でサピエンチアSapientiaと言いますが、 この言葉の語源は、「味わう」という意味のサペレSapereであります)。
  2. 聡明のたまものは、啓示された教えを直観させて、また、自然の真理を超自然的な目的に向けて、立派に行うことができるための恵みです。
  3. 賢慮のたまものは、各場合によって、永遠の命を得るために信者としてどうすべきかを正しく判断させます。このたまものは、一種の超自然的な『本能』のようなものであって、理由によるのではなく、 聖霊の御助けによって、何がよいか悪いかを教えてくださる恵みです。
  4. 剛毅のたまものは、徳を力強く行わせ、どんな危険や妨げが表れても、それを乗り越える挫けない自信を与える恵みです(この恵みのお陰で、殉教者等はキリストの証しを英雄的に行いました)。
  5. 知識のたまものは、聖霊の御助けによって、超自然的な目的を失わず、創られたものを正しくつかうように助けます。上智のたまものと違うところは、前者は神と神的なものについて判断させるが、後者は被造物に対して判断させます。
  6. 孝愛のたまものによって、神さまを父として見なし、神に対して子どもの愛を持たせるし、すべての人は神の子である以上、兄弟姉妹として愛させるのです。
  7. 敬畏のめぐみは、立派な信者として行わなければ私たちを罰することができる神さまを尊敬させ、そのみ旨に従わせます。

 これらのたまものは、言うまでなく、超自然的なめぐみであって、神の愛である聖霊の指導によって働きます。
 信者の皆さんは、完徳を修めるために、どうしてもこのたまものを必要とします。そうでなければ、信者として立派な生活をおくることができません。
 来月の十日、わが教会において堅信の秘蹟を授けますので、聖霊のたまものについて考え、その勧めに従うかどうかを黙想する機会があります。
 洗礼を受けた日に、聖霊とそのたまものを頂きました。しかし、堅信の秘蹟のお陰で、それはより豊かに注がれます。堅信の秘蹟のお陰で、信者は主において成人となります。
 また教会において、キリストの証し人になって、使徒たちと同じく、福音宣教の使命が与えられます。
 もちろん、主に召されるまで、信者として成長しつづけるべきです。しかし、愛と真理において成長するために、聖霊とそのたまものの御助けは必要です。
 上述したとおり、聖霊のたまものは、わが心に囁く神のみ声を聴かせ、それに速やかに従わせます。素晴らしい超自然的な力をもってキリストに従う時、感じられるあらゆる困難を乗り越えさせます。
 このたび、堅信の秘蹟を受けられる方々のためにお祈りしながら、主に対してより忠実である決心を、新たにしましょう。
(H03.01.20 年間第2主日)top home