たまものという言葉の意味は、それをおくるのは全く自由であるという意味です。すなわち、人間はそのたまものを頂く権利もなければ、神さまは、それを与える義務もありません。
神さまからいただく最も高貴なたまものは、神さまの愛である聖霊そのものです。
聖霊はさらにご自分のたまものを与えてくださいます。
聖霊のたまものはいくつですか、と聞かれると、多分数多いものでありましょうが、イザヤ預言者が述べられるように、七つにまとめることができます(イザヤ11・1〜3参照)。
具体的に言えば、そのたまものは次のものであります。
上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛と敬畏です。
ヘブライ語の古い聖書、ギリシャ語の七十人訳聖書、並びに聖イエロニモによるブルガタの聖書には、上述した七つのたまものが記されていますが、旧約原典学者たちによる聖書には六つしかありません。
しかしながら、聖書学者によれば、七つのたまものの方が正しいと思われます。
これらのたまものは、言うまでなく、超自然的なめぐみであって、神の愛である聖霊の指導によって働きます。
信者の皆さんは、完徳を修めるために、どうしてもこのたまものを必要とします。そうでなければ、信者として立派な生活をおくることができません。
来月の十日、わが教会において堅信の秘蹟を授けますので、聖霊のたまものについて考え、その勧めに従うかどうかを黙想する機会があります。
洗礼を受けた日に、聖霊とそのたまものを頂きました。しかし、堅信の秘蹟のお陰で、それはより豊かに注がれます。堅信の秘蹟のお陰で、信者は主において成人となります。
また教会において、キリストの証し人になって、使徒たちと同じく、福音宣教の使命が与えられます。
もちろん、主に召されるまで、信者として成長しつづけるべきです。しかし、愛と真理において成長するために、聖霊とそのたまものの御助けは必要です。
上述したとおり、聖霊のたまものは、わが心に囁く神のみ声を聴かせ、それに速やかに従わせます。素晴らしい超自然的な力をもってキリストに従う時、感じられるあらゆる困難を乗り越えさせます。
このたび、堅信の秘蹟を受けられる方々のためにお祈りしながら、主に対してより忠実である決心を、新たにしましょう。
(H03.01.20 年間第2主日)