きょうの公教要理の復習にありますように、神さまの第三戒では、安息日を聖とすることが命じられています。
旧約時代には、安息日は土曜日でした。しかしながら教会は、神さまからいただいた権能をもって、主のご復活を記念するために、日曜日を安息日に定めて、また新約の感謝のいけにえとして、ごミサを重視すべきことを決めました。
すると、日曜日と守るべき祝日にミサ聖祭に与り、労働を休むことを命ずる教会の第一の掟は、明らかに神の掟の第三戒に由来しております。
ここから、日曜日のごミサに参加することは、キリスト信者にとっていかに重要なことであるかが理解できます。
すべてのカトリック信者にとっては、重大な妨げがない限り、日曜日と守るべき祝日のごミサに与かる務めは、非常に大事なことであります。
不幸にも、現在はこの掟を充分重視しない信者もいるのですし、とっても軽い理由によって、何の呵責も感じないで、日曜日のごミサに与らない信者もおります。
そればかりか、何回も主日のごミサに欠席したにも拘わらず、告解もしないで、ご聖体を拝領する信者もおります。
日本においては、仏教や神道などは日曜日ごとにそのお寺の信者や氏子等に寺と神社に与るように要求しないので、あるカトリック信者は、間接的にその影響を受けて、教会の第一の掟を充分理解しないのかも知れない。
ところが、カトリック信者が日曜日に仕事を休んで、ごミサに与らなければならない理由はいろいろありますが、まず第一に主日ごとにごミサに与って、神さまを礼拝するのは、教会の公的な礼拝であります。
勿論、イエズスさまがおっしゃったとおり、神さまをどこでも礼拝することはできます(ヨハネ4:21)。しかしその礼拝は私的なものであります。
私たちは神の民として、キリストさまに救われた一家族として、神からいただいた多くの恵みを感謝し、お互いに祈って、神と兄弟と和解しなければなりません。そのためにごミサは回心の祈りをもって赦しを祈り求めるところから始まります。
その次に、みことばの典礼があって、神の教えを聞いて、並びにそれに関する説明である説教を聞くことは、私どもの信仰を深め、それを成長させるためにとても大事なことであります。
普通は、主日のごミサに与らない信者は、多くの場合には、遂に信仰を失って、神から離れてしまうのであります。
引き続いて、感謝の典礼があります。その間、私どものためにいけにえになったキリストさまを父なる神さまに差し上げます。
この神の民の父への贈物は、唯一の神さまに対するふさわしいものであります。私たちが行ない得る他の犠牲などは、このキリストのいけにえと比べれば、比較できないほど無価値なものです。
また、キリストのいけにえを差し上げる時に、兄弟姉妹としてそれを行なう以上、教会の一致を宣言し、それを深めるのであります。
最後に、霊的な糧として主の御体をいただきます。即ち、神さまと愛に満ちた親密な交わりをもって、会食するのであります。
要するに神さまのみ旨は、信者の皆さんが日曜日ごとにごミサに与るよう望まれるのです。故に熱心な信者は神のみ旨を忠実に果たします。
日曜日の労働を休む務めは、ごミサに与る務めより簡単にゆるされます。何故ならば、会社に勤めている方などは、仕方なし日曜日にも働かなければならないからです。
ところが、ごミサに与る務めは非常に重大である以上、ただ大きな妨げがあるときだけゆるされます。また、こういった場合でも、
日曜日にごミサに参加できなかった時は、神に感謝し、その恵みをいただくために、他の平日にごミサに与ることを切にお勧めいたします。
きょうの公教要理の復習をしながら、上述した大事なことを再確認いたしましょう。
(S59.06.24 キリストの聖体)