聖ポンピリオ・マリア・ピロッティ

 7月15日のきょう、エスコラピオス修道会の聖ポンピリオ・マリア・ピロッティの祝日であり、また今年は彼が列聖されてから五十周年でありますから、特別な喜びを感じます。
 聖ポンピリオは1710年9月29日、イタリーのモンテカルロ市に生まれ、1766年8月15日、カンピサレンティナ市において帰天したので、彼の生涯はわずか56年でありました。
 エスコラピオス修道会会員として学校において活躍しましたが、彼の生涯の大部分は司牧にさしあげて、説教家や信者の霊的な指導者として有名になりました。 彼の成聖の名声は活躍されるところにすぐに広がって、彼に告解したい人は夥しい人数でありました。
 聖ポンピリオの心に最も根を下ろした信心は、イエズスさまのみ心に対する信心(彼はイタリーにおいて、この信心をはじめて広げたものでありました)と聖母マリアさまに対する信心でした。 彼は信者に成聖を得られる最も有力な手段として、しばしば告解し、ご聖体を拝領するように勧めました。
聖ポンピリオ・マリア・ピロッティ  聖ポンピリオの体は弱かったけれども、それにもかかわらず、行なわれた厳しい修業のために有名でありました。その反面、他の者に対して理解深い人で、寛大であったのです。
 しばしば「イエズスさまのために苦しむのは、何と易しいことだ」と言いました。
 主は彼を通して多くの奇跡を行なわれましたが、その反面、彼を理解しないで迫害した者もありました。
 1759年、彼を嫌う者たちは、ナポリから聖人がながされることに成功したのであります。その時、『聖フランシスコの小さき花』に述べられていることとよく似た事件が起こりました。 即ち、聖人をナポリから運び出す馬車の馬は、いくら馭者が鞭を打っても一歩も動きませんでした。その時、聖人は馬に向って「さあ、行きましょう。 わたしがナポリから出ることは神さまのみ旨だから」と。すると、聖人の声を聞いた馬は、素直に走り出したのであります。
 聖ポンピリオは多くの説教をし、また、黙想会を指導したのであります。
 ある時、説教をしている最中に、突然動けなくなって、目を開いたまま数分間たちました。 信者たちは非常に不思議に思ったけれども、 聖人は自分に戻っても、そのことについて何も言わなかった。しかしながら、後にちょうどその時刻に、何キロか離れた所に住んでいた一人の聖人の霊的指導を受けている婦人が死んだということがわかりました。 すると彼女の親戚は、死ぬ前に聖ポンピリオがやって来て、彼女の寿命の最後に慰め励ましたことを証言したのであります。
 聖ポンピリオはよく祈る聖人でした。人々のための恵みや、依頼された目的のためや、教会などのためによく祈りました。 自分のために祈ったのは、ただすべてのことにおいて神さまのみ旨を果たすことができる恵みだけを祈り求めたのです。
 この皆さんに対して本当に優しかった聖人に最も輝いた徳は、司牧に対する熱意、信者の霊的な指導に対する奉仕、厳しい苦業、死者を助けるために祈ることと、 特に上述いたしましたイエズスさまのみ心と聖母マリアに対する深い信心でありました。
 私たちはきょう、聖ポンピリオの代願のもとに、これらの徳をいただきますように心よりお祈りいたします。
(S59.07.15 年間第15主日)
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